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諸藤将次が語る現在地×未来予想図

これから飛躍を目指す選手が集う「Team DELiGHTWORKS」。そのなかで、唯一、チーム最年長の諸藤将次(もろふじ・まさつぐ)だけは、ツアーへの返り咲きを狙う立場だ。

福岡県出身で、学生時代から九州地区で名を馳せた諸藤。沖学園高校時代からJGAナショナルチームに選出され、九州アマチュアゴルフ選手権競技では当時最年少優勝(16歳)を達成。プロツアーでも頭角をあらわし、同学年の池田勇太と並んで注目を集める存在だった。

日本大学を2年で中退して、プロ転向した2006年以降はQTを通過したり落ちたりの繰り返しでツアーに定着もままならない苦しい時期が続いたが、台風の影響で進行が大幅に遅れて36ホール短縮競技となった2011年「フジサンケイクラシック」でツアー初優勝。くすぶっていた2010年2月、誰よりも諸藤を応援していた母・孝子さんが死去。最愛の母に捧げる勝利で、表彰式では「母のために早く1勝を挙げたかった。一番心配してくれていたのが母だったので…」と涙を浮かべ、遺影を持って駆けつけた兄・誠一さんとともにのぞんだ優勝記念撮影では最高の笑顔をみせた。

だが、その後は順風満帆とはいかず。2013年に左手親指を痛めて離脱すると、翌年も復帰できず、2015年以降は限定的なツアー出場を強いられる。浮上のキッカケをみいだせずにいたが、「Team DELiGHTWORKS」加入をキッカケに再び脚光を浴びる舞台を目指して戦っている。

諸藤の歩んできたキャリアを改めて振り返るとともに、ゴルファーとしての理想像について話を聞いた。

ゴルフを始めたキッカケやエピソードを教えてください

両親の影響で先に兄姉がやっていて、僕も2歳くらいから始めていました。でも中学2年まではプロを目指してなかったんです。勉強もスポーツもやっている普通の学生というか(笑)。2つの塾に入って、家庭教師をつけていた時期もありました。母は勉強させたい…父はプロゴルファーを薦める…といった具合で、日曜日や休日に1000球打つ、という生活でしたね。

学生時代は九州の大会で結果を残し、頭角をあらわしましたが、ゴルフに本気になったのはいつ?

中学でも普通に勉強をしていたので、高校も学業の面で選ぶつもりでしたが、中学2年の終わりごろに沖学園の校長先生から呼ばれて…そこから本気で取り組むようになりました。高校時代は九州アマで優勝できたりして、プロトーナメントにも出場できるようになった。実際に試合に出てみて、“プロになってみたいな”と思い始めましたね。

印象的な試合は、高校3年で出場した『久光製薬KBCオーガスタ』。ドライビングディスタンス1位(※4日間平均314.13ヤードを記録)をとったときに“名前が売れた“というか(笑)ドライバーの飛距離に注目してもらえるようになったことも大きいかもしれません。自分のなかでは一番飛ばせるとは思っていなかったですけどね。

大学在学中にプロ転向。この時期にした理由は?

将来的にプロを目指して、日本大学に進学しましたが、大学時代は、高校時代と比べて伸び悩みました。ゴルフを辞めるか…続けるか…そこまで考えたときに、母が「目指してきたのだから、プロになってみれば?」と言ってくれて。そこで大学3年になったばかりの頃に中退して、プロ転向をしました。そのあとQT30位内に入って、試合に出場できるようになりましたが、そこでQTを通ってなかったら、たらればになりますが、いまのプロゴルファーとしての自分はないと思います。

プロ転向のときも、初優勝のときも(支えてくれたのは)母の言葉ですね。『フジサンケイクラシック』の前の年、母が亡くなる前に「ゆっくり焦らず」と言ってくれました。そこで“やってみよう!“と思えることができたんです。

26歳でのツアー初優勝後、怪我に苦しみました。30代半ばを迎えた、いまの心境は?

優勝したあとは、怪我もあり、以降はツアー出場もままならず、伸び悩んだ時期でした。「もう一回、上にいきたい」と思いながら、もがいていましたが、なかなかキッカケを掴めない期間が長かったです。2018年に「Team DELiGHTWORKS」に所属させてもらえることになり、「この年からでも、もう一度やってみよう」と思わせてもらえたのは本当にありがたいこと。チームを作るというお話を聞いたとき、「30代は無理かもしれないですけど、ベテラン枠でお願いします」と懇願していましたから。

「Team DELiGHTWORKS」では最年長という立場ですが…?

これからの選手たちが多いチーム構成で、みんながシード選手を目指していくなか、僕は“戻りたい”という希望を持つ立場。若い選手たちよりも、もっと頑張らなきゃダメだと思っています。周りの方からも「これからは新しい自分になって、頑張ったほうがいいよ」と言ってもらえたことで、少し気持ちが変わってきている。成績にとらわれずに、まずはいまの自分を見つめなおすことが大事。次、シード選手に返り咲くことができたら、絶対に落ちないようにするための土台を作っていきたいと思っています。

20代の頃と比べて、30代では練習の取り組み方は変わりましたか?

いままでは身体の線が細く、怪我をしやすいケースがありましたが、ここ1年でしっかりとトレーニングを積んで、体重は8kgほど増えました。64kgから72kgになって、人生で一番重いです。

若い時は、ただただ練習していた時期もありましたが、いまはリスタートの気持ちを持てていることが意欲につながっている。もう少し体重を増やしたら、減らないように維持していこうと思っていますが、ウエアを着こなせるように、太りすぎには気をつけないといけないですね(笑)

レギュラーツアー復帰へ向けての展望を聞かせてください

今季は推薦出場という限られた立場なのですが、優勝争いに加わっていくことが大事だと思っています。

AbemaTVツアー(チャレンジツアー)開幕戦の『Novil Cup』では、久々の優勝争いができて、やっぱり楽しかったですよ!

そこで勝てなかったことで、もちろん悔しい気持ちは沸いてきますが、優勝争いができれば自信がつく。それを何度も繰り返していければ、QTを通過できたときに、ツアーでも戦えるんじゃないかなと。ツアーに戻ったときのためのトレーニングも継続してやっていきたいですね。

最後に、年齢を重ねていくなかで“どんな人間でありたい”と思いますか?

そうですね…いまのままで、というか、周りの方に好かれる人間でいたいと思いますね。人にやさしくというか…そういう風に育ってきたので。中学生の頃に、父親から「一匹狼のゴルファーでいくか? 人に好かれるゴルファーでいくか?どちらか選べ!」って言われて、僕は「好かれるほうがいいです」と。20年くらいそのままなので、変えることなく優勝したい。

しっかりと挨拶ができて、後輩たちにもやさしく、ファンに好かれる。やっぱりこれがいいです。ただ、もし中学の時に“一匹狼タイプ”を選んでいたら、この年齢でもまだ尖っていたかもしれませんね(笑)

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